名古屋城 観光

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名古屋城

 

名古屋城は、江戸城,二条城などと共に、徳川家康が築城した最後の大城郭です。

 

 

 

名古屋城

 

織田信長が産声をあげてから、織田信長の幼少期から青少年時代までの22年過ごした、織田信長ゆかりの地でもあり、非常に感慨深い地です。この辺りの田畑を走り回りながら伸び伸びと育った信長が想像されます。

 

 

 

名古屋城

 

名古屋城は、姫路城、熊本城と共に、日本の三名城です。公園内に入るにも入場料が要るので、お城見学目的以外の人は全くと言っても良いほどいないので、比較的空いています。そんな名古屋城に行って来ました。

 

 

 

 

名古屋城

 

愛知県に来たら!日本の三名城(姫路城,熊本城,名古屋城)の一つである名古屋城に来ないと駄目ですよね〜^^; で、ここが名古屋城の駐車場。とっても広くて、のびのびと車を停められます。運転に自信の無い人でも何の心配も無く停めれそうです。

 

 

名古屋城

 

 

 

 

名古屋城

 

 

 

 

名古屋城

 

 

 

 

名古屋城

 

 

 

 

名古屋城

 

名古屋城は、明治時代になるまで尾張徳川家(徳川御三家の一つ)の居城として利用されてきた歴史有るお城ですが・・・・残念ながら1945年の名古屋大空襲で大天守や小天守と御殿を焼失してしまいました。戦後に復元されましたが、代々徳川家が使ってきたお城だったのに・・まことに残念です。

 

 

 

名古屋城

 

お城に到着するまでが長い長い!!一体どんだけ広大なんだよぉ〜〜〜と涙目になるほどゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ まぁとにかく歩きやすい靴で行くのは鉄則です。

 

 

 

名古屋城

 

この石碑は、「恩賜元離宮名古屋城」の石碑です。この石碑の意味するところは、明治維新が起こり、かつての将軍様や大名達の土地家屋敷の多くが天皇陛下に献上され、その土地家屋敷を宮内庁が管理していましたが、管理しきれず、祝い事がある度に、各自治体にそれらの土地家屋敷を無償譲渡してしてきました。名古屋城もその一つで、尾張徳川家(居城)⇒天皇陛下(離宮)⇒名古屋市(公園)と所有権が移っています。

 

こういった 恩賜元離宮 の石碑が有る公園としては、名古屋城の他に、東京都にある上野公園や井の頭公園、浜離宮公園、旧芝離宮恩賜庭園そして、神奈川県にある箱根公園、京都市にある二条城などがあります。

 

 

名古屋城

 

名古屋城は、1893年(明治26年)に日本国宝に指定されていましたが、1945年の名古屋大空襲で焼失させられた後、戦後再建されたものなので、今現存するこの名古屋城は、再建のため当然ながら国宝指定されていません。しかしながら焼失を免れた三つの櫓(西北・西南・東南)、三つの門(表二之門、旧二之丸東二之門、二之丸大手二之門)と本丸御殿障壁画の大部分は、重要文化財として当時の姿のまま現存しています。

 

 

 

名古屋城

 

ここで入場券を買います。中学生以下は無料!!大人500円!!安いです☆

 

 

名古屋城

 

名古屋城一体の那古野の北のこの地は、昔はアシが茂る湿地帯だったそうです。1521年(大永元年)に、今川氏親(今川義元の父)が、尾張美濃の動静を探らす拠点として利用する為、ここに柳之丸という名のお城を築城し、親族を住まわせていました。

 

 

名古屋城

 

1532年(天文元年)、織田信秀(織田信長の父)の策略にかかり、今川氏豊(今川氏親の末子で今川義元の実弟)は、柳之丸を奪われました。アシの茂る湿地帯を開拓し苦労して築城したのに奪われちゃうなんてちょっと可哀想ですが・・・戦国の世なのでしょうがないですね。しかもその奪い取り方が凄い今も経済戦争で同じようなことしてますしね。さてさて話は戻って。。

 

織田信秀(織田信長の父)は、柳之丸を那古野城と改名。織田信秀(織田信長の父)が、今川氏豊(今川氏親の末子で今川義元の実弟)から柳之丸改め那古野城を謀略により奪い取ってから2年後に、この那古野城の地で織田信長が生まれました。

 

 

名古屋城

 

3年後、織田信秀(織田信長の父)は、古渡城に移り、3歳の織田信長に那古野城を譲り、織田信長は3歳で那古野城城主となりました。1548年(天文十七年)に結婚した織田信長ですが、濃姫(斎藤道三の娘)との新婚生活もこの那古野城でした。

 

 

名古屋城

 

1555年(弘治元年)、織田信長が、清洲城の織田信友を滅ぼしたのを機に、信長は、生まれた時から22歳になるまで住み続けた愛着有るお城である那古野城の城主に織田信光(織田信長の叔父=父信秀の弟)をし、信長自身は清洲城に移り住みました。

 

 

 

名古屋城

 

那古野城を任された織田信光は、那古野城城主となった年の12月に変死し、変死の翌年に那古野城は廃城となりました。

 

 

 

名古屋城

 

那古野城廃城から約半世紀後、徳川家康によって再びこの那古野城の地が脚光をあびます。

 

 

 

名古屋城

 

1556年(弘治2年)に那古野城が廃城となってから約半世紀後の1609年(慶長14年)、徳川家康は、徳川義直(家康の9男)の居城として名古屋城築城を決定。その1年後の1610年(慶長15年)に、加藤清正(肥後),福島正則(安芸&備後),前田利光(加賀&能登),黒田長政(筑前),細川忠興(豊前)ら以前、豊臣方に通じていた外様大名家臣の西国大名20大名を総動員し、那古野城の跡地に、名古屋城築城を開始。

 

 

 

名古屋城

 

徳川家康の狙いは、藩財政を窮乏させることであり、工事費用や材料調達の全てにわたり、かかる費用は全て指名された大名持ちで行われました。

 

 

名古屋城

 

しかも徳川家康は、工事区分を非常に複雑に且つ細かく細分化し、各大名それぞれ3箇所から10数箇所の持分の工事を託され、工事区分の境界部分の大名同士が喧嘩しやすいように調整してあり、問題を起こせば、御家断絶や小藩への移封減俸ができるようきっちり仕組まれていたという^^;

 

 

 

名古屋城

 

先頭を切って突貫工事で完璧な仕事をこなした加藤清正は、名古屋城の工事持分を完成後、心労の為、亡くなってしまいます。、その加藤清正の孫である清正の後継者である加藤正光は、徳川家に謀反をたくらんだと言う冗談話を元に、加藤家は熊本52万石を奪われ、庄内へ移封されました。

 

 

 

名古屋城

 

又、名古屋城完成から10年も経たない内に、福島正則は、広島50万石を奪われ川中島に移封。

 

 

 

名古屋城

 

このようにして、徳川家によりつぶされ、名古屋城築城を命じられた(豊臣方に通じていた外様大名家臣の西国大名)20大名の内、明治維新になるまで残った大名は、わずか12家のみでした。徳川家 凄し!!

 

 

 

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